pcのマウス壊れて、使ってない有線マウスをひっばり出したんだけど、線がカタカタなって気になってしょうがない。
考えてみると、いろんな物が線で繋がっていて、家中電源コードなどでいっぱいですよね~(* ̄∇ ̄*)
電気なしでは、日常がままならない。
中でもスマホなんか、肝心なとこで、バッテリーが、ヤバイ ってアセる事あるよね💦
マウス買わなきゃな~
こんな事でイライラしてる。
TVや新聞ではあの事でいっぱいだ。
そう今日は3・11 あの震災のあった日だ。
僕は栃木県北の製造工場の2階にいた。
いつもと違うぞ、こりゃヤバイ・・・
上司は、放送で指示があるまで待機しろと!
でも、これは「避難訓練」ではないのだ。
・・・いや、逃げろ~みんな逃げろ~
ドアを開けて逃げ道を確保する。
上司の指示なんかまってられん!!
揺れが止まらない、もっと大きくなる。
動物の本能と言うヤツだ。
経験のない、すごい揺れの中、何とか工場の外へでて、建物から離れて待機した。
ところが、予想も出来ないほど、次々と大きな揺れがやってくる。
駐車場の沢山の車が踊るように動き、固く平なはずのアスファルトが波のようにうねり出す。
川の向こう岸で土煙があがっていた。
山が崩れ木々が滑りおちている。
これは、大変な事がおきてる。
ここにいるすべての仲間が、ここが最大の被災地だとおもっている。
家族は大丈夫か、家は?
携帯も車のキーも工場の中。
保育園にいる子供の事が心配で、
泣きながら、帰宅を求める人もいる。
何処に避難するのか、上層部のエライ方々の判断は二転三転、判断力も決断力もなかった。
何百人もの命を預かっている、気持ちは解りますが。
そして、1時間後になって、帰宅がゆるされた。
ただ、携帯も車のカギも工場の中。
班ごとに安全確認、人員確認しながら取りに行った。
ラインや設備はあちこちに、向きを変えてはいるが、建物が崩れる様子はなかった。
迅速に荷物を取り出せた。
工場の駐車場から出るのには時間がかかった。
早く帰って家族の無事を確認しなければ!
信号機は消えていて、街は大混乱だ。
その間にも、車を揺さぶるほどの大きな揺れが何度かやってくる。
帰り道、何処を通れば最短でたどり着けるかばかり考えていた。
ラジオやTVの放送があったのかも覚えていないが、その後、TVで大きな津波に船や家が流される映像に、時間が止まった。
被災地はココじゃなかった・・・
家族も家もとりあえず無事だったと、少し安心した後の事だった。
チェルノブイリになるのか・・・
その後、僕は放射能モニタリングポスト製造リーダーとして頑張った!
(写真は駅に設置されてから6年後)
僕にとって、人の役に立つ一番の仕事になったと思う。
失った方々が、少しでも癒される時が来ますように。
近いうちに三陸海岸に行って見よう。
頑張れ、東北!
フレーフレー、石川!